2012飛鳥Ⅱワールドクルーズ 四国88ヶ寺歩き遍路 シルクロードバスの旅

ウズベキスタン

 ウズベキスタン共和国

1991年のソ連崩壊によってウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタン共和国として独立。
首都はタシケント。

ウズベキスタンは乾燥した内陸国である。
領土の10%程の土地で農業が行われている、後は広大なキジルクム砂漠と険しい山々。

降水量は年間100~200mmと非常に少ない。
夏の平均最高気温は約40°C、冬の平均最低気温は約-23°Cと非常に厳しい。

アラル海に接しているが、旧ソ連時代に行われた無茶な綿花栽培のための運河により、アラル海の面積は急激に縮小。
アラル海に近いウズベキスタン西部では土壌に高い塩分濃度が検出され、重金属による土壌汚染が広がっている。
水資源のほとんどは農業に使用されており、土壌の塩分濃度上昇に拍車をかけている。
綿花農場における防虫剤や化学肥料の乱用で、深刻な土壌汚染がおきている。

綿花収穫期には全ての学生と教師、公務員はボランティアで綿花の収穫に駆り出される
天然ガス、綿花、金からの収入は一般国民に還元されていない。
国民の平均月収は300ドルくらい!!


 第22日目 4月22日 火曜日

国境⇒タケシント 23km 晴れ
タケシントの人口:270万人 首都
ガイドから20ドル=4600スムで両替、スム=0をとって÷2=日本円。


国境
国境通過のポーター1人で良くやってくれた。

国境
ウズベキスタン国境ゲート前、キルギス国境着から約1.5時間


チムールの像
ウズベクの英雄チムールの像。チュルク系(トルコ系)ウズベク人。
1336年4月8日にサマルカンド南部で生まれる、1405年2月18日にティムールはオトラルで病没した。
征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行うチムール尊敬は出来ない。


国立博物館見学
国立博物館見学、写真撮影出来ず。
クシャン朝 カニシカ王(140年~170年)大乗仏教広がる。
見所はクシャン期の仏像。

ナボイ劇場
ナボイ劇場見学、写真撮影出来ず。
日本人抑留者100名が建設に参加した劇場。


グランドミールホテル
グランドミールホテル
グランドミールホテル
グランドミールホテル
タケシント グランドミールホテル着 17時55分 4星

グランドミールホテルの客
グランドミールホテルで写真を撮ってと彼女達から、容姿に自信有り!!この国の人達は写真を撮ってもらうのが好きなようだ。これからモ美女を見たら頑張って撮らなければ。

夕食
夕食
19時~ホテルの隣の韓国料理店で夕食

ホテルより
夜中遅くまでホテルのプール工事、朝も早くから工事、良く働く国民だ。


 第23日目 4月23日 水曜日

タケシント⇒サマルカンド 340km 曇り 昼間15度
ホテル発 9時35分
ホテル着 20時30分

ウズベキスタンバス 三菱ローザ 21人乗り
大統領通過の為道路封鎖にあう。

9:50~10:20 地下鉄乗車
1971年開通、現在3路線 料金800スム
駅の内装が美しい、地下鉄入口から内部まで撮影禁止、銃を持ったガードマンがいる、秘密の地下に金塊が隠してあるから!!


ヤッカサライ墓地
日本人墓地
日本人墓地
日本人墓地に献花 ヤッカサライ墓地
ウズベキスタンには2万人の日本人抑留者、内2000人がなくなる、79人がヤッカサライ墓地に埋葬。


麦畑
麦畑が続く。

コウノトリ
コウノトリ
コウノトリ:電柱の上に巣を作る自然環境がいいのだ、日本では環境が悪くて絶滅。
コウノトリに見られてあおいそらDeトイレ休憩。

果樹園
果樹園、道路の舗装は傷んでいる。
有料トイレ
有料トイレ500スム、アイスクリーム2000スム、売店の店員話さなければ日本人。


天文台
天文台
天文台
ウルグベクの天文台跡見学、写真を撮るには3000スム(150円)、1429年建設。
高さ40m長さ63mの六分儀を高さ30mのドームが取り囲んでいた当時の天文台は世界最高水準にあった。
ウルグベクの死後天文台は破壊され、1908年ロシアの考古学者に発見されるまで地中に埋もれていた。

民家
ウルグベクの天文台跡より見た民家、雨が少ないのと夏の暑さを避ける為、屋根裏には壁がなく、風が吹き抜けるようにした家が多い、屋根は安価なスレート葺き。


夕食
夕食
18時45分~夕食 ムバロ宅レストランにて
多様な前菜 サモサ ひよこ豆スープ 肉じゃが等


ホテル
ホテル吹抜け
ホテル吹抜けとスルーのエレベーター、朝このホール1階でバイキング。
ホテル室内
20時30分ホテル着 サマルカンド レギスタンプラザホテル 4星


 第24日目 4月24日 木曜日

サマルカンド観光 晴れのち曇り 日中30度 朝晩15度
ホテル発 9時
ホテル着 20時55分

サマルカンド=文明の交差点(01年世界遺産登録)
人口50万人 タジク人40% ウズベク人30% その他ロシア・アルメニア等30%
1924年~30年はウズベキスタンの首都。


アフラシャブの丘
アフラシャブの丘
アフラシャブの丘
アフラシャブの丘の見学
かっては3重の城壁に囲まれていた、BC6~AD13世紀まで使われていた。
BC329年年アレキサンダーが中央アジアの本拠地を建設以降発展。
1220年モンゴルの攻撃で破滅。


アフラシャブ博物館
アフラシャブ博物館 アフラシャブの丘の隣に建つ博物館。
アフラシャブ博物館
アフラシャブ博物館 アフラシャブの丘発掘の様子
アフラシャブ博物館
アフラシャブ博物館
アフラシャブ博物館 7世紀の領主の館から発見された壁画がメインの展示。


入口の門上部
入口の門
シャヒジンダ廟 入口の門 17世紀建造
シャヒジンダ廟
シャヒジンダ廟
シャヒジンダ廟
シャヒジンダとは「生ける王」の意味、クロッサムはゾロアスター教に襲われ首をはねられたが、自らその首を抱いて井戸に入っていった、今も地下で生きていると信じられている。
信者たち
シャヒジンダ廟 小さな子供を連れ廟を訪れた御婦人達。
日本の七五三の神事の様な行事があるのか??。


ビビハニムモスク
ビビハニムモスク
ビビハニムモスク
1399年~1404年インド遠征の勝利によって、亡き愛妃ビビハニムの為に世界最大のモスクを建てようとチムール自ら工事監督、工期が短く余りにも巨大だったので、チムール没後3年で完成と同時に崩壊し始める。1919年ロシア時代に破壊、1974年よりコンクリートを使い修復、大モスクのファサードの高さ初期は48m現在38m。


シヤブバザール
シヤブバザール
シヤブバザール
シヤブバザールの見学 市場にはジプシー(ロマ)がウロウロしていた。


昼食
昼食
12時40分~昼食 カリンペックレストランにて、ビール6000スム。


ティラ・カリーメドレッサ
ティラ・カリーメドレッサ
ティラ・カリーメドレッサ
ティラ・カリーメドレッサ
1660年建造の神学校 ウズベク人の領主バハッドゥル建造、天井は平面に書いたものだが立体的に見える。

シルダール・メドレッサ
シルダール・メドレッサ 
1636年建造 ウズベク人の領主バハッドゥル建造。
正面に人面のついた太陽と鹿を追うライオン(サマルカンドの王のシンボル)が描かれる。
太陽はゾロアスター教の影響。

グルエミル廟
グルエミル廟
グルエミル廟 (支配者の墓) チムール帝国三代の王墓
ムハンマドが1403年に戦死したため、チムールが廟を建設1404年完成、縦に64本の溝はマホメットが亡くなった歳の数。

グルエミル廟
グルエミル廟 夜のライトアップ廟。


ホテル
昨夜のホテル レギスタン・プラザホテルへ15時40分着
19時~ PLATAにて夕食 20時55分ホテル着


 第25日目 4月25日 金曜日

サマルカンド⇒ブラハ 264km 晴れ時々曇り 夕方雷雨 24度
ホテル発 7時45分
ホテル着 16時50分

飛行場
カーゴ(貨物)専用飛行場の横通過 韓国との合弁企業

キャラバンサライ跡
キャラバンサライ跡
キャラバンサライ跡 あおいそらDeトイレ
9世紀~19世紀まで使用 6000人宿泊出来た ソ連時代に破壊される。

SARDOBA
サルドバと呼ばれるドーム型の貯水槽 キャラバンサライの水飲み場。

キジルクム砂漠
キジルクム砂漠通過 ゴビ砂漠のような風景 放牧も見られる。

11:20 ブハラ州に入る
ブハラ=歴史地区 93年世界遺産登録
ブハラ市:人口27万人 60%がタジク人 街ではウズベク語・タジク語・ロシア語が話される。

昼食
昼食
キジドバン(焼き物で有名な街)OSHXONAレストランで昼食
焼き物
レストランで焼き物を焼いて売っている窯元。


14:05 サマニ公園
イスマエルサマニ廟
イスマエルサマニ廟
900年頃建造サマーン王朝4代目イスマエルが父の為に建立した廟。
1927年ソ連の考古学者シシュキンが地中に半分埋もれたのを発見、東洋の真珠と言われる。
サーマン朝時代の唯一完全な形で残る建造物。
焼きレンガ:8世紀に初めて使われる、土とラクダの乳をこねて焼いた。

タルバチ門
タルバチ門
11世紀建設、城壁には12の門があつたが現存は2。
タルバチ門
タルバチ門 土盛が割れ崩れないように丸太を入れ表面はスサ入の土が塗られる。

バザール
バザール
バザール見学

路地
路地を歩く、緑が多い。
路地のラクダ
路地を歩くふたコブラクダ。


チャシムアユブ廟
チャシムアユブ廟 12・14・16世紀それぞれに作られた屋根が特徴。

ボロハウズモスク
ボロハウズモスク 17世紀建造

アルク城
アルク城
アルク城
紀元前1世紀より要塞があったと言われる、ブハラの発祥地、ブハラの支配者の居城。
1920年ブハラ革命に7割が焼失。
城前は市場・処刑が開かれたレギスタン広場、城内は牢獄・モスク・王座の間など。

カモラさん
現地ガイドのカモラさん 05年に日本の埼玉に留学 イスラム教徒 旦那は空手家。
旅人の健康まで気づかって良くしていただいた。

カリヤンモスク
カリヤンモスク
795年アラブ人により最初のモスクが作られて以来、常に金曜モスクが置かれた場所。
チンギスハーンの襲来で破壊され現在のモスクは1514年建立1970年に修復、回廊には288のドームが連なる。現在も金曜モスクに使われる1万人の信者を収容できる。

カリアンミナレット ブハラのシンボル:1127年建設、高さ46.5m
ミナレット:アザーン(礼拝)の呼びかけ、キャラバンの目印、死刑因を袋に入れ上からつき落とし処刑する所。
カリヤン:タジク語で大きい

ミーリアラブメドレッサ (カリヤンモスクの向かい側)
16世紀建設の神学校 、宗教弾圧が行われたソ連時代も活動 4年間宿舎生活しアラビア語、歴史、数学、コーラン、イスラム法を学ぶ 120名程の学生。

タキ・ザルガルーン
タキ・ザルガルーン 
タキ・ザルガルーン 16世紀建設 
タキ:タジク語でドームの意味屋根付きバザール最盛期にはブハラに40有り今は2。
入口はラクダが荷を積んで通れるように高くした。
昔は宝石商の並ぶタキ、スカーフを買う、楽器・鋏の鍛冶屋を見学。

アブドゥルアジス・ハーンのメドレッサ
アブドゥルアジス・ハーンのメドレッサ
1657年建設が始まったが途中で中断、左の屋根にコウノトリの巣。

マゴキ・アタリ
マゴキ・アタリ
12世紀の建築 ブハラに現存する最古のモスク 1934年に発見されるまでほとんど埋まっていた 更にその下からゾロアスター寺院の遺構が発見される。内部は現在絨毯博物館。

ナディール・ディワンベギ・メドレッセ
ナディール・ディワンベギ・メドレッセ
ナディール・ディワンベギ・メドレッセ
17世紀の建築 元はキャラバンサライとして建築。
人間顔の太陽に向かう不死鳥乗の図(太陽はゾロアスター教の影響)
豚のような白い羊(生贄を意味する)


アジア・ブハラホテル
16:50 アジア・ブハラホテル着 4星

夕食
19:00 MAZIRA AZBEKにて夕食 前菜・ピラフ


 第26日目 4月26日 土曜日

ブハラ⇒国境⇒マリ 98km+300km 晴れ 朝晩涼しい 昼間は30度前後
ホテル発 7時5分
ホテル着 20時20分

街路樹
街路樹はポプラの木、シベリアから材木が入らなくなったためいずれ材木として利用。

アム・ブハラ運河
アム・ブハラ運河(白い塩が見える) あおいそらDeトイレ休憩


国境
8:40 ウズベキスタン・アラット国境着 (アラット=OLOT=国境)
    現地ガイドカモイさんとバスと運転手はここで終わり。
    トルコ・イランのトラックが並ぶ。
8:40 バスより下車⇒徒歩移動200m
8:50 税関検査
9:30 出国検査
9:45 ウズベクのゲートへ徒歩移動200m⇒パスポートチェック
   緩衛地帯をスーツケースを引いて25分程1.5kmを歩く。

国境移動
国境間移動
大型トラックの横をスーツケースを引っぱってガタガタ道の緩衛地帯を25分程1.5kmを歩く、おかげでスーツケースの車輪が2箇所おかしくなった。

ユーラシア大陸横断旅行記に書いている、あるHPには。
出国手続きは簡単で、我々はバスの中で待っているだけで、すべてガイドがやってくれる。税関手続きも簡単で、スーツケースはバスに載せたままで開けられることもなく、税関申告書を提出するだけで済む。それでも手続きがのんびりなので、たっぷり1時間半は必要だ。この国境は、両国間に1km近い緩衝地帯があり、国境間を移動するバスもないため、地元の人は炎天下の中、徒歩で移動しなければならない。我々は事前の交渉が出来ているので、ウズベキスタンのバスで、トルクメニスタン側まで移動する(といっても、いつももめるのだが)
と書いている、方法はあるようだ、2005年のHPで今は駄目か。

     次はトルクメニスタンへどうぞ

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional