2012飛鳥Ⅱワールドクルーズ 四国88ヶ寺歩き遍路 シルクロードバスの旅

トルコ

 トルコ共和国

イスラム教国55カ国で政教分離はトルコだけ。
徴兵制2013年14ヶ月⇒12ヶ月に。
イスラム教信仰者20年前は70%現在は50%程度。

イスラム教国ではあるが飲酒は自由、ブドウ から作られアニス で香りが付けられたラク が有名。ワインやビールの国産銘柄も多数ある。
エルドアン首相:宗教を重要視し酒の税金が高い。

1890年和歌山県沖でトルコ軍艦エルトゥール号遭難518名溺死、69名助けられ日本の軍艦でトルコに送りとどけられる。

イランイラク戦争:1985年3/17フセインが「今から40時間以後にイラン上空を飛ぶ飛行機は全て打ち落とす」と声明。
しかし日本は自国機を用意することが出来なかった、トルコ航空がこの事態を救う。

2020年オリンピック:イスタンブール×東京での決戦投票で東京が決まりその瞬間トルコのエルドアン首相が阿部首相に駆けつけお祝いの言葉を言った。

ドイツへの移民300万人、観光客3780万人/2013年(日本人17.4万人/2013年)
平均月収10万円・公務員の平均月収12万円
退職金=月収×40、年金=月収×0.75。
失業率:政府8% 学者12%。


 第39日目 5月9日 金曜日

トルコ国境⇒エルズルム 345km
国境発 11:00
ホテル着 18:20

トルコ国境
11:00 トルコ国境出発 
イラン国境着より2時間40分で出発、イランとの時差ー1時間30分。

アララット山
アララット山 5165m 

昼食
昼食
12:15 昼食 食事中雷雨、食事済むと曇り、
スープ・チキンの煮込み・ミンチケバブ・ピデ・プラフ。
レストラン前の街並み
レストラン前の街並み
レストラン前の工事現場
レストラン前の工事現場
細い柱と梁の無いスラブ、日本では考えられない構造の建築。
トルコも地震国でこの構造!!中央アジアも同じような構造でした。


イサク・パジャ宮殿
イサク・パジャ宮殿
イサク・パジャ宮殿
イサク・パジャ宮殿
イサク・パジャ宮殿 標高1970m
99年の歳月をかけ1784年イサク・パジャの孫の時代に完成。
ジャーミィ・キッチン・ハーレムなど部屋数85室。

イサク・パジャ宮殿
イサク・パジャ宮殿の姫達と日本の王子様と記念写真


ポーラットホテル
ポーラットホテル
ポーラットホテル
18:20 エルズルム ポーラットホテル着 5星
エルズルム
人口 402.000人
海抜 2.000m トルコで最も標高の高い街
4世紀=オテドシオポリス、8世紀=アラブ人の侵入でエルゼン、13世紀=モンゴルにより街が破壊、1516年オスマントルコの征服=エルズルム、1916年=ロシアとの戦争で多数の犠牲者。

19:30 ホテル内で夕食 バイキング

ホテルのトイレ
カザフ・キルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタン・トルコのトイレは写真のビデ仕様のお尻洗浄付き便器が多い。イランはホース付きの洗浄器。
水道水で冷たい水、快適さは日本のウオッシュレットには叶わない。

ホテルより
ホテル室内よりの景色。


 第41日目 5月11日 日曜日

エルズルム⇒マチカ 314km 晴れ 16~24度
ホテル発 8:30
ホテル着 16:50

カラス川
カラス川
カラス川
9:15 ユーフラテス川の上流カラス川で写真ストップ

コップ岬
コップ岬:1916年(第一次世界大戦)にロシアと戦った戦士達の慰霊塔、標高2370m。

バイブルト城
バイブルト城
バイブルト城
10:30 バイブルト城 写真ストップ
1~2世紀ローマ時代に城塞が造られる。
13世紀セルジューク・トルコ時代に修復される。
保守的な町で、女性はほとんどマントをかぶる、クルド人が多い。

車窓
車窓
車窓
10:40 車窓風景 山の丘に住宅街 
工事中の住宅は足場無しで建てる、構造は壁とスラブで支える、柱・梁は無し。

トンネル
標高1700m トンネルの証明がおしゃれです。

昼食
昼食
12:45 ロカンタで昼食
豆の煮込み・肉団子・羊のスペアリブ・ライス・プディング。

景色
景色
新緑が美しい山の景色

ビュイック・スメラホテル
ビュイック・スメラホテル
14:15 マチカの街のビュイック・スメラホテル着 4星
その後ミニバスでスメラ僧院の見学
ビュイック・スメラホテル前の通り
ビュイック・スメラホテルまえの通り。標高365m


スメラ僧院の見学
ミニバスで山へ
14:35 ミニバスでスメラ僧院へ山をホテルより1000m登る。

スメラ僧院
スメラ僧院
スメラ僧院 標高1370m 
スメラとはソーメラス 黒い岩の処女
4世紀 アテネからルカの書いたマリアの絵が飛んできてここに教会が出来る。
6世紀 修道院・鐘の塔を建設。
14世紀 巡礼者が多くなり拡大し修道院になる。
19世紀 200人の修道士がおり1922年まで僧院として使われる。

スメラ僧院
スメラ僧院入場料金所

スメラ僧院
スメラ僧院上部アプロチ

壁画
壁画:ルカの絵を元に最初13世紀に描かれ18世紀にその上に描かれる。

写真
今日は日曜日多くの学生達が見学に来ていました。
トルコの学生達はスマホで写真を撮り友達と自慢しあう為か!!!日本○○と「一緒に写真を撮ってください」と声がかかりペット扱いでした。

16:50 ビュイック・スメラホテル着

夕食
19:00 レストランで夕食
アジのフライ・鮭の塩焼き・メバルの煮付け・クイマックチーズ・ピザ等。


 第42日目 5月12日目 月曜日

マチカ⇒アマヤス 497km 晴れ 18~24度
ホテル発 8:00
ホテル着 18:30


ホテルより
7:40 ビュイック・スメラホテル室内より眺め

トラブゾンの街通過
8:40 トラブゾンの街通過 TOYOTAの看板とトヨタ車が多く走る。

黒海沿岸を走る
黒海沿岸を走る
黒海沿岸を走る
9:25 黒海沿岸を走る

黒海沿岸レストランでコーヒータイム
9:55~ティレボルの街、黒海沿岸レストランでコーヒータイム。

ギュレスンの街通過
10:30 ギュレスンの街通過
チェリーの語源と起源はここ ギュレスン=チェリー
山形県寒河江市と姉妹都市。

魚市場
11:30 ペルシェンべで魚市場見学

昼食
昼食
11:55~黒海沿いのレストランで昼食
4種類の魚のフライ

ヤソン教会
ヤソン教会
13:15~ヤソン教会と黒海散策。

コウノトリ
コウノトリ
15:25 コウノトリ写真ストップ 
電柱の上にコウノトリの巣用のプレートを作ってある。

BANDIRMA号
15:40 サムソンの港にBANDIRMA号が係留
1919年5/19アタチュルクがこの船で上陸。
この日以降4年間独立戦争を戦う。

アマゾンの像
アマゾンの像
16:05~16:40 ギリシャ伝説:アマゾン
女性戦士だけの種族がこの付近に住んでいた。彼女たちは弓を射るのに邪魔な片側の乳房を切り取っていたため、ギリシャ語の「乳なし」の単語からアマゾンと呼ばれた。南米のアマゾンもこの伝説に由来。


ラレハンホテル
ラレハンホテル
ラレハンホテル
18:30 アマスヤ ラレハンホテル 4星

ラレハンホテルより
ラレハンホテルより
ラレハンホテル部屋より景色

夕食
19:30 ホテルのレストランで夕食


 第43日目 5月13日 火曜日

アマスヤを観光 晴れ 18~24度
ホテル発 9:35
ホテル着 21:10

砦の散策
砦
砦
砦
砦
砦
9:45~砦の散策
現存する砦はアレキサンダー・ローマ・セルジュトルコ・オスマントルコ時代。

砦からアマヤスの街
砦からアマヤスの街
砦からアマスヤの街を見下ろす。
イリス川が流れる。


フェルハットとシリンの像
フェルハットとシリンの像
10:40~ フェルハットとシリンの像 悲恋の伝説
アゼルバイジャン女王の妹シリンは、トルコから水道を掘りに来た職人フェルハットと恋に落ちる。
アゼルバイジャンの王国が崩壊してシリンがトルコの古都アマスヤへ身を寄せることになり、二人は再会。
(アマスヤはオスマントルコ時代に歴代の王子が修業のために送り込まれる街だった)
フェルハットはシリンとの間を認めてもらうよう、スルタンに願い出るが、スルタンの息子がシリンに横恋慕していたので、難題を出される。

井戸掘り職人のフェルハットに「岩山を穿ち水路をつくりアマスヤへ水をひくことが出来たら認めてやろう」という。

フェルハットは岩山に穴をあけ水路を作るというこの難事業を行う。
(今でもトルコでは「フェルハットの様に愛している」という真剣な愛の告白をする)

不可能と思われた水路がほぼ完成した時、スルタンは「シリンは死んだ」とウソを伝える。フェルハットは絶望のあまりつるはしで自分を打って自殺。それを知ったシリンもあとを追う。

水路
この水路は山を穿ち20キロの長さがある。しかしこれは古代ローマの建設によるもで、伝説の悲恋物語は史実ではない、が いい物語です。


博物館の見学
博物館
博物館
博物館
博物館
11:05 博物館の見学
イルハーン時代の県知事家族のミイラ。
ヒッタイト時代(BC17~11世紀)の神様
女学生
博物館で女学生に囲まれる。


5人のポント王の墓
11:45 5人のポント王の墓 街から見上げる。
BC280~63年ポント王の墓
ポント王ミトラダトス6世はシーザーとの戦いに敗れる(ゼラの戦い)
*ローマは100年間ポント王国との戦いに勝つことが出来なかった。

5人のポント王の墓
5人のポント王の墓の前に岩山を登る。

5人のポント王の墓から街を見る
5人のポント王の墓から街を見下ろす。

5人のポント王の墓の入口ドームで写真を撮る学生
5人のポント王の墓の入口ドームで卒業写真を撮る女学生。
この時期他の所でもプロカメラマンをつれ写真を撮る女学生を見かける。

5人のポント王の墓街から見る
5人のポント王の墓 街から見る。

5人のポント王の墓街から見る。
5人のポント王の墓 街から見る。
古屋:木造建築の壁に厚く土を込めてある、耐火性は有りそう。

昼食
12:45 昼食
スープ・ムサカ・豆・トマト・ドネルケバブ。
ドネルケバブ
ドネルケバブを焼くお兄さん。

アマスヤの街の散策
アマスヤの街の散策
アマスヤの街の散策

街で見かけた若い女性
街で見かけた若い女性、アマスヤは美人が多い街。

夕食
夕食レストランより景色
19:30 景色のいい山の上のレストランで夕食。
夜景もいいがうまく写真を撮れなかった。
釜焼きケバブのチョイス。

街の夜景

街の夜景

街の夜景
アマスヤの街の夜景。
時間と共に照明の色が変わる。
イリス川面に映る街の色。
山の砦も照明の色が変わっています。


非常に危険なホテル
ラレハンホテル
21:10 ラレハンホテル着 昨夜と連泊 4星
非常時は非常に危険なホテル
私の客室の4階へ上がった所の写真です、非常用の消火栓ホースが有ります、しかしこれは誰が操作するのか、夜間少ない従業員が駆けつけて出来るとは考えられない。
消火栓で火を消す前に煙で人は倒れてしまう。
1階に食堂と調理場が有り、一番出火しやすい所ですが、そこから4階まで防火扉も火災警報器も無く煙は一気に上がってくる。
しかし客室からこの階段以外に避難路は無し、窓から飛び降りるしか方法が無い、部屋には避難経路を書いた案内図も無し、非常用の照明も無い。
一番ビックリしたのは、火災警報器が部屋にも廊下にも無い事です
日本では戸建住宅でも火災警報器は義務付けされているがトルコでは無いのか!!!


 第44日目 5月14日 水曜日

アマスヤ⇒ポアズカレ⇒アンカラ 388km 晴れ 15~24度
ホテル発 8:00
ホテル着 16:40

車窓
10:00 車窓より 
麦畑:圃場整備が出来てない、畑に樹木等があり自然環境は良さそう。

10:35ヤズルカヤ遺跡
案内版
 ヤズルカヤ遺跡案内版
ヤズルカヤ=文字の書かれた岩場という意味。
ヒッタイトの聖地。
BC17~11世紀:ヒッタイト王国

入口神官達の建物の基礎
入口神官達の建物の基礎 案内版の1・2のカ所
建物は90度の角度では無い。左右対称で無い。

A
案内版Aのカ所

B
12の神が並ぶ
案内版Bのカ所
神殿:貢物を持ってくる場所。
12の神が並ぶ(神は半ズボン)

CIMG5559.jpg
CIMG5563.jpg

CIMG5560.jpg
CIMG5562.jpg

CIMG5564.jpg


ハットシャシュ
ハットシャシ
ハットシャシュ:86年世界遺産
ヒッタイト王国BC17~11世紀
BC14世紀ハットシリ1世がここに遷都
当時の人口は3.000人
繁栄したのは小麦の生産力
最も早く鉄器時代に入ったのはヒッタイト
鉄は金・銀の40倍の価値
最初は祭器として使用

大神殿
大神殿
大神殿(3300年前)
ふたつの神殿
200カ所の部屋

2トンの亀石
2トンの亀石

ライオンの門
ライオンの門
ライオンの門

地下道と城塞の看板
地下道と城塞の看板
地下道と城塞の案内板

地下道
地下道
地下道入口と出口

城塞
城塞
城塞

城塞から見下ろす
城塞から見下ろす

城塞から見下ろす
城塞から見下ろす、28の神殿の基礎

地下道のスフインクスの門
スフインクスの門

王様の門
王様の門:実際は神様(半ズボン)これはレプリカ本物はアナトリア博物館。

王宮の跡
王宮の跡


昼食
12:30~昼食
トマトスープ・牛肉の鉄板焼き・パスタ入ライス・デザートはバイキング。

半旗
半旗
アンカラに入る、炭鉱事故の犠牲者を弔う為3日間半旗を掲げる。
2014年5月13日にトルコ西部の炭鉱で発生した爆発事故死者は301人。
3日間は映画サッカー等娯楽は禁止。

アンカラ
アンカラ(トルコ首都、標高830m)の街に入る。

シェラトンホテル
16:40 シェラトンホテル着 5星

シェラトンホテル
シェラトンホテル ロビー

シェラトンホテル
シェラトンホテル 客室

シェラトンホテル
シェラトンホテル 客室からの景色

夕食
19:00 シェラトンホテルで夕食
セットメニュー・きのこスープ・鶏と茄子・デザート。


 第45日目 5月15日 木曜日

アンカラ⇒イスタンブール 478km 晴れ 18~26度
ホテル発 6:45 アンカラ・イスタンブールの渋滞を考慮し早出。
ホテル着 17:30

高速の風景
高速の風景
高速の風景
高速の風景
高速道路を約400km走る、ゆるい勾配の丘が続く。

マルマラ海
11:20~ マルマラ海が見える、高速より。
マルマラ海は世界で唯一一つの国に囲まれた海。

イスタンブールの街に入る
イスタンブールの街に入る、高速より。

マルマラ海
12:20~ 高速を降りマルマラ海を撮る。

昼食
昼食
12:45~ KANAATでトルコ料理の庶民の店で昼食、
ウズベクピラフ他。


第一ボスポラス海峡大橋
第一ボスポラス海峡大橋
第一ボスポラス海峡大橋
第一ボスポラス海峡大橋
第一ボスポラス海峡大橋
第一ボスポラス海峡大橋
第一ボスポラス海峡大橋
14:00~14:03 
旅45日目に第一ボスポラス海峡大橋を渡りアジアの旅が終わりヨーロッパに入る。
今までのアジアの旅を思い出すと胸が熱くなる。

第一ボスポラス海峡大橋
1973年10月30日、トルコ共和国建国50周年記念日の翌日完成。
全長 =1,510m
中央支間長 =1,074m
幅員 =39m(6車線)
高さ =64m
主塔の高さ =105m

第2ボスポラス海峡大橋1988年完成 
第一ボスポラス橋より5kmほど北にあり、石川島播磨重工・熊谷組で建設。

ボスポラス海峡海底トンネル2013年完成。
技術的に難しい約1.4キロの海底トンネル部分は日本の大成建設が担当。
8000年前のものとみられる遺跡にぶつかり4年遅れた。
総事業費は約3500億円で、日本政府も円借款(1.500億円)を通じて支援した。
阿部首相海底トンネル開通式に出席。


旧市街
旧市街に入る
1453年オスマン帝国の首都に、コンスタンティノーブルからイスタンブールと改名。
旧市街にはイスラム教徒新市街にはキリスト教徒が住む。


ピポロドーム
オベリスク
ピポロドーム:かってローマの大競技場跡、17世紀頃まで使用。
蛇の柱:デルフィのアポロン神殿より持ってきた。真ん中より折れている。
オベリスク:エジプトのカルナック神殿より持ってきた。


ブルーモスク
ブルーモスク
ブルーモスク外観
6本のミナレットが特徴
大ドーム:高さ44m、直径27.5m、4つの副ドーム、30の小ドーム。
1616年ルスタン・アフメト1世の命で完成、2000人収容。

ブルーモスク
ブルーモスク
ブルーモスク内部
内部装飾の美しさからヨーロッパ人にブルーモスクと呼ばれる。
かっての装飾タイルは殆ど残っていない。
タイル:イズニック焼、ステンドグラスの継ぎ目は石膏。

ブルーモスク
ブルーモスク
16個のバルコニー 6本のミナレット 6にこだわっている。


アヤ・ソフィヤ
アヤ・ソフィヤ
アヤ・ソフィヤ外観
360年完成⇒消失⇒再建⇒消失
現在の建物は6年掛けて再建537年完成
東ローマ帝国(395年以降)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設された。

1204年~1261年迄はラテン帝国支配下でローマ・カトリックの教徒大聖堂。
1453年5月29日から1931年まではモスク。
1935年2月1日から博物館として使われている。

世界で4番目の大きさ。
高さ55mのドーム(東大寺の大仏殿と同じ高さ)
四角の基礎に円形ドームを載せる建築方法は世界最古(イランではイランが最古)

アヤ・ソフィヤ内部
アヤ・ソフィヤ内部
一部工事中、床は崩れ落ちないか心配なほど大きく垂れ下がり壁・柱も傾いている。

アヤ・ソフィヤ壁画
アヤ・ソフィヤ壁画
アヤ・ソフィヤ壁画


地下宮殿
地下宮殿
東ローマ帝国時代532年建設された大貯水池。
大きさは138m×65m 12本×28列336本の大理石円柱。
貯水池はイスタンブールに80ケ所あり内3ヶ所が大きい。
ジェームズ・ボンドの映画『007 ロシアより愛をこめて』の撮影地として使われた。

地下宮殿
メデューサ(ギリシア神話に登場する怪物)の顔が彫られた古代の石塊を土台にするなど、特に美的効果を必要としなかったために半端な材料が用いられた。
おそらく流行遅れの在庫処分品であったらしい。


トラム(路面電車)
トラム(路面電車)
19世紀に作られたトラム(路面電車)はアジア側でもヨーロッパ側でも一旦廃止され、今は復元運転されている。

タイタニックホテル
タイタニックホテル
タイタニックホテル
17:30 タイタニックホテル着 5星

タイタニックホテル
タイタニックホテル
タイタニックホテル客室より眺め

夕食
19:30 タイタニックホテルで夕食
豆スープ・クリームパスタ・チキン・プリン+アイスクリーム。

タイタニックホテル
タイタニックホテル食事中の眺め、夕日に飛行機。


第46日目 5月16日 金曜日
イスタンブール観光 晴れ 16~27度
ホテル発 8:00
ホテル着 20:55


トプカプ宮殿
15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。
トプカプ宮殿
外廷の正門「挨拶の門」
「第二の庭」と呼ばれる、公式行事に使われた広場で、これを外廷の施設が取り巻く。御前会議の開かれた「ドームの間」や国庫はその一角に位置する。
現在はトプカプ宮殿博物館の入場口。

トプカプ宮殿
内廷の正門「幸福の門」
「第二の庭」の正面奥に「幸福の門」その奥にある「謁見の間」と呼ばれる建造物を中心とする「第三の庭園」とそれを取り巻く施設群が内廷を構成する。内廷には君主の私室や、現在は有名な「トプカプの短剣」が展示されている宝物庫がある。

トプカプ宮殿
トプカプ宮殿
トプカプ宮殿
トプカプ宮殿の施設群内部は写真不可。

国立考古学博物館
欧米各国がトルコ国内の遺跡を発掘し、発掘品の多くをトルコ国外に持ち出していたため、その散逸を防ぐために1881年に開設された。
考古学博物館
考古学博物館
考古学博物館
考古学博物館
アレキサンダー大王の石棺
考古学博物館 アレキサンダー大王の石棺


エミノニュ広場
ガラタ橋のたもと、ここはサバサンドで有名なエミノニュ広場。
船の上でサバサンドを焼く
遊園地にあるような船の上の大きな鉄板でサバを焼く。
サバサンド
12:25 B級グルメ サバサンドで昼食。
パリッとしたパンとサバ・レタス・玉ねぎが良く合い美味しかったです。

ヴァレンス水道橋
ヴァレンス水道橋
北西郊外の森の水源から旧市街地の地下貯水池へ架かる水道橋。
378年に完成し、完成時の皇帝の名をとってヴァレンス水道橋。
全長1km、今はアーチとアーチの間を常に多くの車が行き交っている。

ハドリアヌスの門の城壁
旧市街地を守る城壁
旧市街地を守る城壁
旧市街地を守る城壁
4世紀東ローマ帝国の帝都コンスタンティヌスの時代に建設。
5世紀テオドシウスの時代に現在の規模の城壁を建設。
周囲25km。海側1重・陸側3重。46の門(オスマン時代に90門)


グランドバザール
グランドバザール
グランドバザールの見学
60の通りと4000軒の店、1461年からの歴史、1980年火災後修復。
私のお土産の買い物
現地ガイドのフズリMRさんにトルコ石のお店をお願いし、店を案内していただく。
私の思いのトルコ石が無く店を出ようとしたら、他の石を持ってくるから5分待ってくださいと店員が言い20分ほど待つ、新しく来た石も言っていた石とは全く違うものでした。
フズリさんに別の店をもう1店紹介していただいたが、ここも私の思う石は無い。

フズリさんとグランドバザールを出て、外の店に案内された。
そこはジュウタンの店で。フズリさん言う「トルコ石の青色が好きならここのジュウタンで青いのを探してください」と言う???
そういえばグランドバザールへ来る時もフズリさんは遠回りして、皆にこの店を案内した。フズリさんはこのジュウタン店にお客を案内する約束をしているようだ。
私はトルコ石を求めているのですと言うと、ジュウタン店員に紹介されて行った店も希望のトルコ石は無かった。
結果1時間ほど歩き回り何も買うことが出来なかった。
現地ガイドは旅行者を契約した店しか案内出来ない、それ以上期待するのが間違いだ。


夕食
夕食
17:10 タイタニックホテル着 昨夜と連泊。
19:20~ Beytiで夕食
豆スープ・羊+牛のドネルケバブ・羊ケバブ・牛ステーキ・キョフテ・甘いお菓子。
有名人の写真や名刺を多く展示してあり、日本の皇室も来たと写真を見せる。
しかし料理は不味く肉はパサパサで固くて食べれなかった。
「有名人が来るよ」を店のうりにして、料理はその有名人のイメージで食べさせる。


 第47日目 5月17日 土曜日

イスタンブール⇒国境⇒カヴァラ
ホテル発 8:00
国境   12:10
ホテル着 17:45

車窓風景
高速 車窓風景

トルコ側イプサラ国境
11:40 トルコ側イプサラ国境着
雲助運転手がパスポートを集めて出国手続き、税関の手続きは無し。

ギリシャ・トルコ国境
12:10 ギリシャトルコ国境

    次はギリシャへどうぞ

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