2012飛鳥Ⅱワールドクルーズ 四国88ヶ寺歩き遍路 シルクロードバスの旅

聖イサク寺院 他

  聖イサク寺院 他サンクトペテルブルク市内観光

聖イサク寺院

聖イサク寺院

聖イサク寺院
  聖イサク寺院外観
聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク・ダルマツキーに由来する。

聖イサク寺院

聖イサク寺院
 聖イサク寺院内観
ロシア・ビザンチン建築様式、ギリシャ十字の平面プラン、中央部に巨大ドーム、四方に小ドームを配置で建設された。

聖イサク寺院

聖イサク寺院現在の模型
 聖イサク寺院の建設時のそれぞれの模型
ピョートル大帝の時代にワシリエフスキー島に初代の「聖イサク教会」が建設されたのが起源。
1717年に元老院広場に移ったが、軟弱な地盤に加え、落雷によって焼失した。
エカテリーナ2世より再建事業が開始されたが未完成に終わり、パーヴェル1世が事業を引き継いだ。
現在の聖イサアク大聖堂はアレクサンドル1世の時代に建造されたもので、1818年から1858年まで、工事は40年間かかる。
ロシア革命後は、ソビエト政権の下で博物館となった。
第二次世界大戦は独ソ戦におけるレニングラード包囲戦ではドームを灰色に塗装した。
ソ連崩壊後、大聖堂としての活動を再開し、祭日における奉神礼が行われている。

工事中の模型
 工事中の模型
巨大な石柱を建てる為の櫓で滑車とロープで石柱を建てた。


ピョートル大帝の銅像
 ピョートル大帝の銅像
聖イサク寺院の前の広場に建つ銅像、大帝は聖イサク寺院の方向を見ている。
ロシアは地震が無い為、馬の銅像は後ろ足2本だけで大きな銅像を支えている。


有料トイレ
聖イサク寺院近くの有料トイレ


青銅の騎士像  
青銅の騎士像
ピョートル大帝の騎士像は、エカチェリーナ2世の命で作られ1782年に完成。
プーシキンはそれを題材にしたこの叙事詩で、厳しくも美しいロシアの自然、それを克服しようとする英雄、そこで暮らす人たちの愛を描いており、多くの人たちから愛されている。
この詩が有名になったため、騎馬像も「青銅の騎士」と呼ばれている。


血の上の教会

血の上の教会

血の上の教会
 血の上の教会 外観
公式名は、ハリストス復活大聖堂
アレクサンドル2世は、農奴解放を初めとする大改革を行ったが、1881年3月1日皇帝はテロの標的となった。
行幸先から帰る皇帝の乗った御料車が運河に沿って通る中、テロリストの皇帝を狙った爆弾で崩御した。

教会の建立は、アレクサンドル2世の跡を継いだアレクサンドル3世によって先帝を弔うために行われた。
教会はグリボエードフ運河の河畔で、アレクサンドル2世終焉の地に建設された。
工事は1883年に着工されたがアレクサンドル3世在位中には完成せず、次のニコライ2世に入って1907年で24年間かかった。

外壁は、レンガ、モザイク画、タイル、大理石が貼られ。
計9つの玉ねぎ型のドームが林立している。
外側は明るい色の金色やエナメルによる塗装。

運河より血の上の教会
グリボエードフ運河の先に「血の上の教会」が見える。
建物の高さ制限をピョートル大帝の時代からされ、美しい街並みが出来ている。

血の上の教会内観

血の上の教会内観

血の上の教会内観

血の上の教会内観
 血の上の教会内観
聖書の中から悲劇的な要素の強い面積7500平方メートル以上のモザイク画によって壁面が装飾されている
トパーズ、青金石、半貴石で飾られている。

血の上の教
教会内にある「血の上の教会」の模型。


  カザン聖堂とサンクトペテルブルク市街

カザン聖堂
 カザン聖堂
ロシア正教会の大聖堂、1801年に着工、1811年に完成した。
1812年ナポレオン・ボナパルトによるロシア遠征に勝利によってカザン聖堂は戦勝記念の建築となった。
1837年聖堂の両翼端にクトゥーゾフ、バルクライ・ド・トーリ両元帥の青銅像が建立された。
半円状に弧を描く列柱の回廊。聖堂はラテン十字形のプラン。

内観は写真禁止で無し。


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カザン聖堂へ行く道中の写真4枚。
おしゃれなカラス クレイジェイ??
英語. クレイ clay:粘土(ねんど)。
英単語 jay には ”おしゃべり,間抜け”的な意味も。
ロシア語では??

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